恐い位に、厳しく、カサカサにひび割れてる父(師匠の武夫)の手が、大晦日の夜と正月の三賀日だけは、優しい手に変わる。その手が無性に器用で、子供達の目の前において披露される。お餅を焼いたり、お節料理を取り分けたりするのだが、その仕草と振る舞いが、殊の外、優しくて品があり、器用に写るのである。仕事をしている厳しい父だけを、毎日眼に閉じ込めている家族には、このような瞬間が不思議に思え、ひたすら父の振る舞いに視線を送るのである。
しかるに母は、父の手助けをするだけで、決して表に出てくる事はなく、いつも、ひたむきな行動であった。
父は、年が明けたら、必ず家族に、「お正月は女は働いてはいかん」、と皆に申し付けて、炊事も洗濯も掃除さえも、母にさせる事はなかったのであるが、それにはそれなりの理由が頑固なまでに、存在していたのだろう。
父と母は、正月の朝には、必ず毎年、真新しい着物と洋服を私達に着させてくれる。
その瞬時に漂う香や、愛情が、まるで揺りかごの中か、母の母体の中に戻った様な錯覚に酔いしれていたものである。
( 後日に、続きます)