大川家具の歴史[昭和時代]戦後編No.5

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昭和25年位に発売された三輪軽トラダイハツミゼット

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昭和27年、筑後川での筏流しが夜明けダムの建設によって終わりとなる。
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戦後の桐箪笥
ーー第二次世界大戦後の異常な大川ー
  戦争での敗戦は、日本の住宅や設備、文化や人間の心までも、全てを破壊して終結したが、全国の戦災復興や炭鉱住宅等の需要がいっせいに始まり、大川には異常な木工ブームが、訪れる事になる。
  敗戦国のどん底から、這い上がる為には、日本人が平和的な経済立国を再構築するための夢を描く事が必要でした。
    全ての住宅や家具は破壊され何も無い状態ですので、誰もが貧しく取敢えずの応急措置を至急行わないといけない状況でした……。
   住宅は、質はあまり重視しない、間に合わせの文化住宅や集合住宅が、普及して、家具も今までの純和風ではなくて、洋風的な安価な家具が必要とされる、異常な時代背景の中で、大川に与えられた使命は量産家具の製作でした。
   大川の家具作りは、一本でも多く作る事が優先されましたので、作れば作るだけ、まとめて売れて行きました。
     日本の戦災復興は目覚まし行きました早さで進み、やがては高度成長期を向かえる事になります……。
  昭和24年(1949年)大川は国の指定の『重要木工集団地 』に指定され(旭川、高崎、東京、荒川、新潟の加茂、和歌山と共に)、現在の産業の基盤が確立されました。