大川家具の歴史と榎津指物の起こり[大正時代]

 ーーー大正時代の大川鉄道とはーーー     『大川には西鉄大川駅があった』No.1

大正時代の幕開けの[1912年(大正元年)12月30日]大川鉄道が、開業した…。
今の大善寺駅から大川市(大川町)の西鉄大川駅の間を結んでいた西日本鉄道(西鉄)の鉄道路線ですが、その開業の目的は、旅客の他に城島や大川で生産される酒や、大川の家具、畳表等の貨物輸送が主な目的であった…。
この鉄道開通により、大川指物の販路も、輸送範囲も格段に広がりました。
ーーー大正時代の大川指物ーーー
大正2年(1914年)第一次世界大戦が勃発、ーーー
この大戦時の四年間、及びその直後は日本中に好景気が沸き上がりました。大川の指物業界も、その好景気の恩恵を受けて、多くの家具の販売店が登場しました。
しかし大正9年にもなると、今度は戦後の不況が押し寄せ、日ごとに不況感が高まっていきました。
しかしこの様な状況の中、大川指物同業組合は、更なる努力を重ねて、品質の向上に努め、不況の波を乗り切る為の販売先の開拓や榎津指物のPRに乗り出します。
各地で開催される博覧会や、共進会、品評会等に、主な業者(問屋)の自信作の出品を積極的に進め。榎津指物の宣伝に尽力しました…。
この為に、近隣市町村に販路が広がり、大川鉄道の貨物輸送も手助けとなって、業者数もその従業員数、生産高も、共に好調な成長を続けて、この大正時代中期には、更に品質を向上させた榎木箪笥は、最盛期を迎える事になります。