大川家具と大川桐たんすについて



大川家具の歴史は、今から480年前にさかのぼる—。

時は戦国時代、源義晴の家臣である榎津遠江守の弟、榎津久米之介という戦国武将は、戦乱の世を逃れて、出家の身となり修行を積みながら、この地榎津にたどり着きました。

その後『良碩』と号して願連寺を創建し、その際家臣たちに生計を立てるために指物の技術を修得させ、工商を成したと言うことが記されており、これが大川家具の始まりと言われています。

もとより筑後川は、時折氾濫して、この地まで杉や檜、桐の丸太が流されてきており、木造船や指物の製作に役立っていた…。

又、天正17(1589)年、天草の志岐一族は城を明け渡し、志岐経長は、弟の経弘ほか郎党数名を伴い、島原湾-有明海を北上しました。
そして、筑後川左岸の大川榎津の願連寺の開基、榎津久米之介(僧名ー善明)を頼って移住しました。経弘と久米之介は旧知の中で同じ武家ということで昵懇だったのです。
当時の立花宗茂は志岐一族の高度な造船技術力を活用し、家屋や船の建造に取り組み、かたや武将たんす(刀たんす等)や籠などを作らせました。
このように海洋族の志岐一族が榎津の庄分に移り住み、船大工を初め、屋大工や指物大工を始めたというのが、大川家具をより発展させたのではないでしょうか。